未だに心を落ち着けて目の前の現実を受け入れられないでいる。
文章にしてみると少し整理できるかもしれないので、至極プライベートな記事になる事お許し下さい。
コメントを頂きたい訳でもなく、賛否両論ご意見を承る必要もありませんのであしからず。
基本的にここから下はスルーして頂けると幸いです。
3月11日の14時46分以降、僕の価値観の極軸が揺らぎ続けている。
日常から非日常へと無理矢理引きずり込まれ、元の自分には決して戻ることの無い世界へ投げ出されてしまった。
この地域は停電の対象にはなっていなくて、電気はもちろん水道・ガスも何不自由なく使える。
車での移動もガソリンスタンドに行けば、タンクの容量まで際限なくガソリンも入れることができる。
お腹が減れば朝昼晩三食を摂る事ができる。
一日の終わりには温かいお風呂に入り、柔らかい布団に潜ってぐっすり眠ることもできる。
スーパーやコンビニには物が溢れかえっている。
目の前にあるのは地震の前後変わることのない『普通の生活』の残像があるのかもしれない。
僕の中ではもはや過去に過ごしていたであろう『普通の生活』には違和感があって、この極限状態に晒されてもパラダイムシフトできない自分の周りの世界に刻々と温度差を感じるようになっている。
3/11の2:45以前 ≠ 3/11の2:46以降 は全く別の世界。。
『普通の生活に戻る』というそれっぽい言葉にイコールの因子を含ませてもイコールで結べるわけもない。思考停止もいいところ。
・お金を使おう(そんな気が本気であるなら経済活動するより義援金を流すほうがダイレクト)
・外食をしよう(何?行きつけの飲み屋が潰れるって?)
9・11のNYテロの時にジュリアーノが言った事を引き合いに出して経済活動を続けろと謳う人って日本とアメリカの経済構造を混同してしまってるの?
日本の場合経産大臣か、財務大臣、官房長官、総理大臣が言うのなら少なくとも汲める部分はある。向こうは地方分権の確立された成熟した地方自治の首長の言葉。
扇動する経済活動は自分の自治する地域の復興資金に直結するが故の言葉。
しかも、アメリカに比べて日本は社会保障(被災された人に対しても)が半端ない。
ソースも無くどこからか湧き上がってきた『経済活動をして、お金を使うことは復興を支援していることと同じなのです』とかの風潮ちょっと待て。
1000円の物を買って企業に700円の利益が出たとしよう。
その700円のうちいくら企業が義援金で払うか確証を掴めてるのか?
1000円払って慈善な気持ちでお腹一杯になってるだけじゃない?
そんな間接的な係わり方をするならダイレクトに日赤とかに買ったつもりの額を募金すればいい。
盲信の経済活動ですっとんきょなお金の循環を促すのはどこかで儲かってる人間がいることも忘れずに(日本代表とJリーグ選抜のチャリティマッチの主旨から外れたオークションの転売事例なども)
僕は経済活動せずにダイレクトに支援をしています。
商品対価で払ったお金を企業側が100%義援金にしてくれるシステム内でお金を使っています。自分の財布に余ったお金は義援金として惜しみなく出しています。
支援物資にも数万円出し、東北へ送ってもらった。
(支援物資として送った物の販売元企業も支援物資を送ってくれているので、我々が買うことによって支援した企業の補填にもなると思う)
義援金や支援金を創出する為に経済活動をするなんて盲信。
本当にその気があるなら後に発行されるであろう復興国債に好きなだけつぎ込めばいい。
自分の納めた税金がどう使われているのか全く関心の無い層で、高い税金には苦言を呈し、
湧き上がっている復興ムードが風化すればそんな志など微塵も残さずに元の経済活動に引き戻されてしまうなんて人多いんじゃないかな。
日常に戻ろう、経済を回そうとする潮流に若干の違和感を覚える。一種の自浄作用にも似た大号令は同時に催眠作用を持ち、国民として『被災した』という意識を無理矢理遮断してる様に思えて仕方ない。確かに日常を取り戻す事は重要だが、今蔓延る集団心理に迎合してしまっては学び取る事は何一つと無い。
こういうことを言えば不謹慎な奴と言われること必至だけど、どう足掻いても日本に住む人間が元の生活に戻れることはこの先絶対にありえない。
自分が変わってしまったのか? 周囲は変わっていないのか?
自分は変わっていないのか? 周囲は変わってしまったのか?
書き殴っても結局支離滅裂で整理できていない…。
普通の生活に戻ろうとする核心部分は理解できるけど、経済を絡める主旨が理解できない…。
慧眼を備わりたかったと心の底から思う。
長文乱文失礼致しました。
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